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Blues とおっさん化

ブルース・サミット

学生の頃、Blues のバンドをやって入れ込んでいた時期があった。とは言っても、クリームやオールマンブラザーズバンド、スティーヴィー・レイヴォーンとか 白人ロック 寄りの曲も多かったし、スライドギターやハープを使うわけでもないハタチそこそこの日本人が演る見よう見まねでしかなかったんだけど、オーティス・ラッシュやジェームズ・コットンの名曲をなぞって、自分たちなりの音で演奏するのは楽しかったし、何よりBlues ってフォーマットとしてはシンプルでかつ、自由度も高いから、趣味でも楽器をやってるんなら、自分でも一度は演奏してナンボのジャンルだと思っていた。

 

実際、当時の軽音サークルで「セッションやろっか」ってなると、手練れの先輩たちはとりあえずkeyがEかAのお決まりのブルース進行から始めるんだけど、3-4 回しくらいすると眠たいブルースから発展してめっちゃかっこ良くなったりする。そして普段Blues 的なフレーズとか弾かない人もその人なりの個性が滲み出るブルージーなフレーズを聞かせてくれると、「なーんだちゃんと下敷きにはしてるんじゃないすか^^」と内心うれしかった。


とは言え、軽音サークルでバンド組んでいるみんながセッションでインプロビゼーションや音での会話を楽しみたかったわけでなない。普通の学生はテクニカルか刺激的なものを求めてロックバンドをはじめる。だから(どちらも自分が生まれる前のミュージシャンだけど)シドヴィシャスはカリスマで、マディ・ウォーターズは教科書の人。ジミヘンはその中間くらい。だから、苦手なジャンルにBlues を挙げる人は多かった。そして何よりも絶望的に女の子にモテなかったことは言うまでもない。


ただ、Blues 好きな学生たちは自分たちがメインストリームとずれてきていることも分かっているし、またある意味「枯れてる俺たちかっこいい」というめんどくさい美意識もあったりする。だから Blues の話をするとき(と麻雀のはなしをするとき)は自分たちのことを進んで「おっさん」と言っていた。まだ22歳なのに。そんな感じだから18歳や20歳の後輩は「ああ、あのBlues (や麻雀)好きな先輩たちは僕達よりおっさんだよね!俺達はくるりを聴くよ!」みたいなよくわからない細かい世代が刻まれていた。

 

そんな自虐的な自称「おっさん」の心中には絶対的な優越感というか拠り所があって、それはだいたいのロックミュージックのルーツを遡るとBlues をスタイルとしていたミュージシャンやグループに行き着くこと。君らが最初に覚えるフレーズの手癖それ ブルースペンタトニックやで、とか、君らが夢中なビジュアルバンドのギタリストが敬愛するギターヒーローたちもマディやヒューバート・サムリンといった大御所とのセッションでは君らと同じキッズそのものなんやで、とか、君たちが弾いている尖った逆三角形のギターも最初は左利きの黒人のおっさんが流行らせたんやで、とか。

 

「ブルース サミット(※)」というフェスに何度か行ったことがある。フェスとは言っても山ガール的な女子はいない(山谷的な中年は多い)。ここで自称Blues 好き20代だった自分は本物の「オッサン」の塊と熱気に圧倒されるとともに(Blues 好きにもかかわらず)若干引いてしまう。甘かった。おっさんを名乗ってごめんなさい。
オーガナイザーなMCが「Blues サイコー!」と高らかに宣言する。酔っ払らったオッサンたちが怪しい踊りで揺れる。ヤジる。煽る。愛すべきおっさん達はバンドやBlues マンと一緒に年を取っている。そして演者としてのBlues マンの寿命はとっても 長い。若くて上手くて味のあるブルースマンは大変である。

 

そんな様子を横目で見てパンクロッカーやディスクジョッキー達は「高年齢化するBlues 界隈」とか「ブルースマン (笑)」なんて、小バカにすることで自分たちはもっとモダンでスマートでいけてる感をアピール。おっさんたちは「(いやそれって結局Blues がやってきたことをコピペしてならべてるだけでしょ)」とか別に言わないけどたぶんそれで満足してる。

 

そんな感じでロックという音楽とBlues というジャンルの関係性はなんだかんだ言って不穏というよりは平和なものです。だからこれからもブログ、もといBlues も、めんどくさいおっさん臭が漂う中でそこそこには若い血も取り入れて形を変えながらも、演奏され続けるんじゃないかと思っているわけです。

※・・・ブルースサミットじゃなくてジャパンブルースカーニバルだった。